この2つの背景にある視点の違いについて、米国の精神障害者の就業支援アプローチから分かりやすい例をみつけました。
統合失調症は多くの場合、薬物療法が効果的ですが、一部、薬物療法でも妄想、幻覚、独語、整容上の問題が残る場合があります。
例として上げられていたのが、「職場に入ると、邪悪な存在が同僚や上司を支配しているという妄想にとりつかれ、独り言も頻繁にあり、また、風呂にも入らず服装も汚い」という人でした。
「妄想、幻覚、独語、整容上の問題」、これらはICFで分類できる、機能障害や活動制限です。これに対して、医学的視点と生活機能的視点では、対応が全く異なります。
医学的視点では、これらを症状とみて、診断し、治療方針を立てます。DSM-IVで示されているように、精神障害の場合、まさに、これらの症状そのものによって診断するわけです。そして、病名が診断されれば、目的はその病気の治療です。仕事は一つのリスクファクターとして扱われます。

この例での具体的な解決法は、次の通りでした。これらによって、その人は要求される仕事を十分にできるようになったのです。
・朝の「魔よけの儀式」を認める:職場の周りに塩のようなものをまくことで、本人が安心できるので、それを認め、夕方には塩の掃除をさせることにしました。
・少し騒がしい職場に配置する:独語を誰も気にしません。
・制服に着替えさせる
・強制的シャワーのジョブコーチ:不潔が目立つ場合には職場からジョブコーチに連絡すれば、強制的にシャワーを浴びさせるように取り決めた。
これによって、「病気があっても仕事ができる」ということを達成しているわけです。これはまさに新しいタイプの「Science & Arts」だなと驚きました。医学的専門性とも異なり、また、「仕事はできない」との決め付けによる支援とも異なります。
ICFの開発時にWHOの担当者がよく言っていたのが、「啓蒙から科学へ」でした。確かに、今まで多くの先入観が支配していた障害の分野に、生活機能的視点での科学的取組が行われることで、全く新しい専門性が確立できると思います。
難病患者の就業支援にもどると、これは医学的視点からはマイナー中のマイナーな分野ですが、生活機能的視点からは最も問題が鮮明になる「要」の分野だといえると思います。